コミュニケーション能力ってみんな持ってるって話
コミュニケーション能力が低い、という言い方が引っかかることがあります。
本当にそうなのかな、と。
人は生まれた瞬間から、コミュニケーションしています。泣いて、笑って、視線で——言葉すら持たない段階から、誰かに何かを伝えようとしてきた。能力はもともと全員に備わっていて、生きる上でずっと磨き続けているものだというのが、私の正直な感覚です。
じゃあなぜ、コミュニケーションがうまくいかない場面が生まれるのか。そのことを、航空の現場での経験から少し考えてみたいと思います。
CRMという訓練の歴史
CRMという言葉があります。
Crew Resource Managementの略で、航空の世界では30年以上前から続いている訓練の枠組みです。乗務員のチームワークや判断力をどう高めるか、という話です。
最初の頃は、性格を4つのタイプに分けて、「この組み合わせのときはこう伝えよう」という内容が中心でした。DiSCとか、4つの象限で人を分類して、相手のタイプに合わせた伝え方を訓練する、というやつです。
D(Dominance):主張が強く、タスク志向。決断が速いリーダータイプ。
I(Influence):社交的で関係重視。コミュニケーターや説得者タイプ。
S(Steadiness):安定していて信頼できる。着実に動くタイプ。
C(Conscientiousness):ルールや手続きを大切にする、分析的なタイプ。
セミナー形式で、結構な時間をかけてやっていた記憶があります。
そのあとアサーションという考え方が入ってきました。権威のある相手——たとえば機長——に対しても、副操縦士がきちんと意見を言えるようにしましょう、という話です。航空事故の原因を分析すると、副操縦士が機長の判断に疑問を持ちながら言えなかった、という場面が繰り返し出てくる。だからアサーティブに伝えることが安全につながる、という考え方です。
いずれも、権威者にいかに自分の意見をスムーズに伝えるか、というアプローチです。
理屈はわかります。わかるのですが、現場ではそう単純じゃないな、とずっと感じていました。
そしてこれは、私だけの感覚ではなかったようです。
ICAOという航空の国際機関の研究によると、CRMの初期訓練を受けたあとも、時間が経つにつれて基本概念への受容が低下していき、態度の後退が見られることがわかっています。つまり、セミナーで「なるほど」と思っても、現場に戻ればもとに戻っていく。性格別アプローチは、実際の運航の場では定着しなかったわけです。
その後、CRMはさらに進化して、今は現場での脅威とエラーをどう管理するか、という方向に移ってきました。テクニックより、目の前の状況に集中しようという流れです。性格別コミュニケーション術から、実際の運航場面での判断力へ。この変化には、それなりの理由があったのだと思います。
アサーションと現場の現実
あるブリーフィングの場で、一緒に組んだ副操縦士がぼそっと言いました。
「小野さん、朝来たとき、ブスッとしておはようも言えない人に、アサーションなんてできますか?」
確かに、そういうキャプテンがいることは知っていました。
アサーションを積極的にしましょう、という運航方針のなかで、挨拶もできない側の人間はそのままで、下の人間だけに「もっと声を上げろ」と求めている。それはちょっとおかしいんじゃないか、と。
副操縦士のひと言は、制度への疑問でもあったのだと思います。そして同時に、笑顔と挨拶が先だということを、私自身に気づかせてくれたひと言でもありました。
コミュニケーションは反射だ
そもそも実際の運航では、「どう伝えようか」と一言考えている、その瞬間に、伝えるべき大切な機会が過ぎていきます。コックピットの中では、考えてから動くのでは遅い場面がある。コミュニケーションは、どちらかといえば反射に近いものだと思っています。
だとすると、訓練で学ぶべきは技法じゃなくて、反射の質を上げることなのかもしれない。そしてその反射の質は、目的が明確かどうかに直結している気がします。おはようと自然に言える状態——それ自体が、安全という目的に向かう反射の土台だったのかもしれません。
目的が先、技法は後
それから、コミュニケーション能力という言葉が少し違って見えるようになりました。
じゃあ何が足りないのか、というと、たぶん目的の意識なんだろうな、と。
航空で言えば、安全という目的があれば、伝え方のきれいさは二の次になります。ぶっきらぼうでも、嫌な言い方でも、必要なことが届けばそれで十分。逆に、いくら感じよく話しても、目的がぼんやりしたままでは何も動かない。
会社で「コミュニケーション能力を磨こう」という話になるとき、もしかしたら目的がちょっとずれているのかもしれない——そんなことを感じることがあります。上司とうまくやるための技術なのか、何かを実現するための伝達なのか。
技法を学ぶ前に、おはようと自然に言える状態があるかどうか。それが整っていなければ、どんな技法も使いようがない。「おはようも言えない人に、アサーションなんてできますか」という副操縦士のひと言は、そういうことだったのかもしれません。技法の問題じゃなくて、その人との間にある空気の問題。
おはようが先、ということだったのかもしれない、と今でも思っています。
AIとの対話でも同じことが起きている
人との対話でさえそうなのだから、AIとの対話ではなおさらそれが露わになる気がします。
AIは愛想笑いをしないし、空気を読んでくれません。何を伝えたいか、何をしてほしいか、何を任せるか——目的が曖昧なままだと、返ってくる答えも曖昧になります。
その分、目的だけが問われる感じがあります。でも裏を返せば、目的さえ明確なら、驚くほど的確に動いてくれる。
人との対話でも、ずっとそうだったのかもしれないな、とAIと話しながら思うことがあります。確信があるわけじゃないですが。




AIとやりとりしているといったんポジティブフィードバックしてくれるので、このままじゃ心の部分でも生身の人間がAIに負けちゃうなと思っちゃったりします。他民族という環境の中でデフォルトが笑顔でいられる様に教育されたアメリカ人にも見習うところがありますね。
「おはようも言えない人に、アサーションなんてできますか?」の一言が強いです。
技法の前に、場の空気。
目的の前に、最低限の人間同士の通路。
AIとの対話までつながるところも、かなり面白く読みました。